アッラーを探し求める旅

これまでの記事では、偉大にして崇高なるアッラーがご自身について語られた言葉――  「御座の節(アーヤト・アル=クルスィー)」(クルアーン第2255節) に耳を傾けてきました。

私たちはすでに、人間が物事を理解するためには様々な方法があることを述べました。そして、アッラーを探し求める旅にも多様なアプローチがあります。

今回は「個人の体験に基づく発見の旅」という形で進めていきましょう。  一人の人物が、宇宙とその存在の背後に崇拝に値する創造主がいることを、理性によって自覚します。

この人物こそ、すべての預言者の父、アッラーの友、そして預言者である イブラーヒーム(アブラハム)(彼に平安あれ)です。

イブラーヒームの探究の旅

イブラーヒーム(彼に平安あれ)は、アッラーの創造物について深く考察し、アッラーを探す旅を始めました。

その様子がクルアーンにこう記されています:

「われはイブラーヒームに、天と地の王国を見せた――彼が確信を持つ者となるために。夜が彼を包んだ時、彼は星を見て、『これが私の主だ』と言った。だがそれが没した時、彼は言った:『私は没するものを愛さない。』月が昇った時、彼は言った:『これが私の主だ。』だがそれが沈んだ時、彼は言った:『もし私の主が私を導いてくださらなければ、私は迷える者となるだろう。』太陽が昇った時、彼は言った:『これが私の主だ。これは最も大きい。』だがそれが沈んだ時、彼は言った:

『おお、わが民よ。あなたがたがアッラーに並べて崇拝しているものには、私は無関係である。私は天地の創造者に真っ直ぐに向かう者であり、私は多神教徒ではない。』

彼の民は彼と論争した。彼は言った:『アッラーは確かに私を導いてくださった。なのに、あなたがたはアッラーについて私と争うのか?あなたがたがアッラーに並べて崇拝するものに、私は何の恐れもない。ただし、私の主が望まれる限り。私の主の知識はすべてを覆っている。あなたがたは悟らないのか?』」  (クルアーン 6章7580節)

理性でたどり着いた真理

イブラーヒームはこうして、宇宙の背後に絶対的な存在――諸天と大地を創造した方――がいることを理解しました。

彼の民が崇拝していた偶像は、何一つ創造することも、自分自身を守ることすらできない無力な存在でした。

彼は最初、夜空の輝く星に注目して「これは私の主だ」と思いました。しかしその星は沈み、消えてしまいました。「消えてしまうものが、どうして主であり得ようか?」

次に月を見て、今度こそと信じましたが、月もまた消え去りました。

最後に彼は太陽を見て、「これはもっとも大きい。きっと私の主だろう」と思いました。けれども、太陽もまた夕方には沈んでしまいました。

こうして彼は、**「没するものは主ではあり得ない」**と確信し、深い失望と混乱に陥ります。しかしそのとき、アッラーは彼に導きを授け、啓示を下し、彼をその民への警告者に選ばれたのです。

アッラーこそが唯一の創造主

イブラーヒームが探し求めていた主は、  ☓ 太陽ではなく、  ☓ 月でもなく、  ☓ 星でもなく、  ☓ 偶像でもありませんでした。

それは、諸天と大地を創造されたアッラー――唯一無二の神でした。

このようなアッラーを探す旅は、イブラーヒーム一人だけのものではありません。  その後、何千年も経ってからも、多くの人々がこの旅を経験し、自らの理性によってアッラーを見出していきました。

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