大いなる問い:啓示の必要性

このシリーズの前の2回の記事では、2つの「大きな問い」に答えました:  「誰が私たちを創造したのか?」アッラー。  「なぜ私たちはここにいるのか?」アッラーに従い、崇拝するため。

そして次に生じるのが、3つ目の大きな問いです:  「もし私たちの創造主が私たちを崇拝のために創られたのなら、どうやってそれを行うべきなのか?」

前の記事でも触れたように、私たちが創造主に従う唯一の方法は、その命令=啓示に従うことです。

なぜ私たちは啓示を必要とするのか?

多くの人がこう問いかけます:

「本当に啓示なんて必要なのか?  人間自身の感覚や考え方では不十分なのか?  自分なりの方法でアッラーを認識し、崇拝してはいけないのか?」

この疑問に対して、以下のようにお答えします。

1. 公正な裁きのためには「啓示」が不可欠

第一回の記事でも述べたように、人生には一見すると不公平が存在しています。しかし、アッラーは完全な正義の主であり、その正義は来世において完全に現れます。

そして正義が成り立つためには、以下の4つが必要です:

  • 裁判所(審判の日)
  • 裁判官(創造主アッラー)
  • 証人(人間・天使・万物)
  • 判決のための法典(啓示=クルアーンなど)

もし創造主が私たちの行動を判断するための基準(啓示)を与えなかったとすれば、公正な裁きは不可能です。それは正義ではなく、理不尽になってしまうのです。

2. 人間は自ら「正しい宗教」を創れない

現実の社会でも、誰も自分で自分の法律を書いてそれに従うことは許されません。企業も従業員に任せてルールを自由に作らせることはありません。

同じように、人間は宗教のルールを勝手に定めることはできないのです。人間社会でさえ混乱するのに、ましてや創造主に関してはなおさらです。

アッラーこそが創造主であり、最も私たちを理解している方です。製品の製造者が最適な説明書を作るように、**アッラーの啓示こそが人間にとって最高の“生き方マニュアル”**なのです。

3. 「良い崇拝」とは、創造主が定めたものでなければならない

人によって「良い」と感じるものは異なります。ある人にとっては道徳的で謙虚な行いが「善」かもしれませんが、別の人にとっては混乱や快楽が「善」だと誤解するかもしれません。

同様に、「アッラーへの服従」や「崇拝」の方法も人によって異なるでしょう。

しかし、重要なのは――アッラーが受け入れる通貨で支払わなければ、崇拝は受け入れられないということです。

お店で自分の好きな通貨を使っても、店主がそれを受け取らなければ意味がありません。宗教も同じです。アッラーが求める方法でのみ、崇拝は意味を持つのです。

4. 誠実さと感謝の心

私たちは日々、アッラーから与えられた無数の恵みの中で生きています。

しかし、多くの人はそのことに感謝せず、むしろ「遅い」「足りない」などと文句を言うことすらあります。

イギリスの詩人エリザベス・バレット・ブラウニングは詩の中で、こんな風に人間の傲慢さを皮肉りました:

「人々は『神はひどい』とは言うが、誰も『神は素晴らしい』とは言わない。」

この世界で生きる中で、私たちはアッラーに感謝すべきではないでしょうか?  そうです――あなたは「すべきだ」と答えるでしょう。そして、実際にそうすべきです。

5. 口先だけでは不十分、本気の行動が必要

多くの人が口では「アッラーに感謝しなければ」と言いますが、実際の行動はまったく伴っていません。  もしあなたが私たちはアッラーによって創られたと認めるのなら、  次にすべきは――アッラーを知る努力をし、その方法で彼を崇拝することです。

その方法はどこで学べるのか?  答えは明確です:アッラーの啓示(クルアーンと預言者の教え)から学ぶしかありません。

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